ぽんこつ看護師がただ現実逃避してマウンテンゴリラを目指していく

一般家庭で悠々と過ごしてきたへっぽこ看護師が、いろんなことに挑戦して生きづらい世の中を頑張って生きていく与太話集。マウンテンゴリラを目指す。

【看護雑談】病名告知を受けずになくなった患者さん

  

 

はじめのブログ読み返して、看護師関係ねーやん!って思いました。

むちゃくちゃだな!!

 

どうもなずなです。

浅香光代さんの病名告知をされてないも聞いて、ふと思い出したので、今回は思い出話です。

というか、事例…なんだろうか。

まあ、昔話です。

 

 

‖Stage4の末期癌と告知をしない選択

 

2年目くらいの時の話。

 

緊急入院できた患者さん

たしか、膨満感とか嘔吐、排尿困難。入ってきたのは腎盂腎炎とかだったかなあ。

ステージ4の膀胱癌か腎臓癌だった気がする。

 

とりあえず、家族にICして治療をすることに。

そして家族は「告知はしない」選択をされた。

奥さんは「あの人は弱いから、受け入れきれないと思うの」と話した。

 

抗生剤たたいたり、尿管ステント入れ替えたりいろいろ治療をしてた。

徐々に痛みも出てきたりして麻薬を始めて…。

その頃、わたしは患者さんの話を聞く余裕がなくて、患者さんがどういう風に聞いてるのかを聞けなかった。

まだコロナなんてない時期、全然面会もできる時期。

 

奥さんも体はそんなによくはないけど、週に何回か逢いに来てた。

患者さんはどんどん動いたりが全く出来なくなっていって、どんどん活動する力がなくなって臥床状態になってた。

ベッドのギャッジアップが限界だった。

 

「お腹がぱんぱんだなあ」

「痛いのは気づいたらなくなった」

「ご飯もうちょっと食べたいなあ」

「早く家に帰りたいなあ」

 

告知をしてないし、ステージ4で全身状態もあんまりよくなくてもう化学療法の適応じゃなかった。

いろいろ言われる望みを叶えないとってなって。退院支援をすすめる。まずは外出出来たらいいね、外泊できたらいいね、っていって、家の状況きいたりしながら、ずっともやもやしてた。

 

 

‖患者さんにとっての家

 

家族の協力もあって、1度外出。

家に帰った。ずっと待ち望んでた外出。

みんな、どきどきしてた。

無事に外出を終えてかえってきて欲しい。

それだけが願いだった。

 

朝に出て夕方前に帰った時には、すごく疲れた様子だったけど、すごく満足げだった。

 

「家でご飯を食べた」

「孫に会えた」

「もうちょっとでよくなるかな」

 

嬉しそうに笑う姿になんだか胸がつっかかった。

少しでも早く家に返してあげる手立てをしないと。

みんなで、カンファレンスしたり、家族と話したり、ちょっとでも、病院でも過ごしやすいように家のものを持ってきもらったりいろいろした。

家のこともいっぱいきいて、ケアマネや訪看も呼んで多職種カンファもしてた、

 

 

 

‖もう疲れてきた

 

 

ある夜勤のことだった。

わたしはいつも通り挨拶して、痛み止めを渡した。

いつも通りだった。

別に変わったことは何も無く、夜もなんも変わったことも無く、ばたばたと走りながらも気づけば朝を迎えてた。

いつも通り、熱を計って、血圧を計って、体全体の確認をして、少し他愛もない世間話をした。

そんな中、ふと、患者さんが言った。

 

 

「もう、疲れてきたなあ。」

 

 

って、穏やかな顔で呟いた。

思わず、「何言ってるんですか、みんな待ってますよ元気にならんと!」って声をかけた。

なんだか、ひっかかった。

何がか分からないけど、「いつも」が変わった気がした。

今思えば、悟ったような落ち着いたような表情だった。

今でもなんで気づけなかったんだろうってたまに思う。

でも、その時はひっかかる思いをかかえながら、他の患者さんのところに行かないと、とその場は後にした。

 

 

 

他の患者さんをまわりながら

少し経って、ナースコールがなった。

やってた作業を早めに切り上げて、その患者さんのもとへいくと、慌てた様子の先輩が「朝、どんな感じだった!?」って患者さんに酸素マスクをつけていく。

患者さんはぜえぜえ息を荒らげながら、苦しんでた。

SPO2が下がってる。主治医にすぐ連絡して酸素をあげて、家族にも電話した。

リザーバーマスクで10Lまであげた。

 

 

 

 

‖正解とはなんだったのか

 

 

「すぐ来てください。」

 

なんで、気づかなかったんだ。

本人はなにかに気づいたからあんな事を言い始めたのかもしれない。

ひっかかった何かはきっとこれだった。

そのあとは一瞬だった。

慌ててきた家族にICして、すぐセデーションをかけることになった。

 

夜勤明けでぼーーっとする頭の中、ふらつく頭の中、ぼやっと考えた。

 

 

何も知らないまま、なくなるんだ。

何も、準備できてないんじゃないの。

何も叶えられてないんじゃないの。

 

なんだか、胸が痛かった。

 

 

全部憶測だけれども

自分が死ぬのを感じていたのかもしれない

体の具合が悪いのも分かってたのかもしれない

もう戻らないことも分かってたかもしれない

家族にどう思ったんだろう

騙されてると思ってたんだろうか

黙ってくれてありがとうと思ったんだろうか

何も知らされないまま、何も悔いはないんだろうか

やり残したことは、死に向けて準備できたことはなかったんだろうか

 

いろんな思いがすごく凄く溢れてきて、

行き場が無くなった

 

 

全部全部自分の勝手な想像なんだと分かっていても、

何も知らずに亡くなるのはなんだか違う気がした。

 

家族や医療者が支えれば、受容だってできるかもしれない

病気と向き合えたかもしれないと思った

 

 

でも、その一方で、

正しいのは家族

その人を1番知ってるのはその家族のはずで

私の知らない人生をずっと共に歩んできた人たちで

 

だから、私たちはその決定を支持しなければならないし、否定することがあってはならないと思った

 

家族もすごく悩んだ上での決断で、患者を思った上での決断

その決定をするために、わたしたちは話を聞かなきゃいけない

情報を伝えなければならない

 

 

病名告知ってむずかしいなあって思った事例でした

 

わたしは断然告知をした方がいいって思って生きてるので、家族が何であっても告知をしたい、一緒に病気と向き合う覚悟はある、ささえる覚悟があると思ってる

でも、実際選んだとしても、病気が原因で自殺する人がいるのも事実で

難しい判断だな、と思う

 

 

でも、いつか、誰か迷った時に、この文章を見て、今一度自分と、患者さんと向き合って欲しいなと思う

選択肢は何個あっても、行き着く未来は結局、ひとつだから

それは絶対正しい選択肢なのだとおもう

それ以外のどうなったか分からない選択肢の結果を想像して悔やむ必要はないと思う

 

自分たちも患者さん本人のことも信じてあげて欲しい

 

病名告知が当たり前にされる世の中になったからこそ思うことでした。

 

なんだか、いつもと違う雰囲気の記事でした笑