ぽんこつ看護師がただ現実逃避してマウンテンゴリラを目指していく

一般家庭で悠々と過ごしてきたへっぽこ看護師が、いろんなことに挑戦して生きづらい世の中を頑張って生きていく与太話集。マウンテンゴリラを目指す。

【看護雑談】看護師が向いていないと思ったはじめての急変

 

 

死ぬほど寒くてもうコートをだしてしまいましたなずなです。

紅茶をすすりながらクッキーを頬張るのが日課です。ずずーっ!

 

今日ははじめての急変について話せたらなあと思います。おばあさんの思い出話です。なずなおばさんのヒストリー劇場です。あとから読み返すと、まあまあ重い真面目な話だったので苦手な方はリターン☝

 

ところでですね

皆さんは急変ってきいてどんなイメージですか?

私の中の一般的なみんながイメージする急変って、ショックになって心臓マッサージしてーみたいなかんじです。

たぶん、皆さん一緒かな?看護師の皆さんは違いますかね?わかんねーや。同じってことにしときますね((

 

それが急変って機会があるようでなかなか当たらない人は当たらないんですよね。

持ってる人はめちゃめちゃこれでもかってくらい急変あたるのになぜか持ってない人はほんとに当たらないものです。

 

私は自分の初めての急変まではほんとに急変ひいたことがなくて、3年目でもひいてなかったかな?いつまでひかんねん!って思ってたくらいでした。ちなみに同期は入って半年くらいで術後の肺塞栓で意識飛ぶ所までであってました。1年目ながら話だけきいて震え飛ばしました。

吐下血くらいで緊急内視鏡とか、アンギオとかならよくある話なんですけどね!

一般の人ならそんなんあってたまるかって話ですけどねほんとに😞😞

 

 

 

│はじめての急変

 

(なんか突然小説みたいに語り出すなずな。)

3年目すぎたくらいでした。

夜勤の時に、お腹の手術をした後の患者さんが急にお腹の激しい痛みを訴え始めたんです。なんかおかしいな?って思って血圧はかったりいろいろしたけど、そんなに普段と変わらなくて、とりあえず痛み止めして様子みて、すぐ先輩にも相談したり…。

ましになったよ!って患者さんは言うけど、なんか様子がおかしい。胸騒ぎがするかんじ。他にも痛み止めをいきながら、とりあえず、何回も訪室して様子をうかがってました。

一通り、患者さん全員をまわって、夜勤メンバーが集まったところで、再度みんなに相談して、呼びやすかった当直の先生に見てもらうことに。

先生もなんか様子がおかしいってなって、先生が来た時にはかの有名なデファンス・ブルンベルグさん(腹膜炎の兆候ですね!)が出始めたんです。

急遽採血とったりCTとったりバタバタ動き始めて、自分の中でもやばいことが起こってるとパニック状態。

 

そのまま、患者さんの手術した部位じゃないところが穿孔してて緊急手術しないとってなったんですが手術室があいてないから病棟で待機。

患者さんもぜえぜえはあはあ徐々に言い始めて酸素化不良起こし始めて血圧は下がってくるし全開で点滴いって昇圧剤いってもあがらんし病棟でCVカテーテルいれたり移動したりバタバタしていてどえらいことになってたのを覚えてます。

 

でも、はじめての急変だったわたしは、完全に固まってました。

 

どうしたらいいのーー?

私今なにしたらいいのーー?

 

バタバタ走り回る先輩を横目に完全に固まってしまってました。

気づいたら、手術室があいたって連絡が来て先輩たちが手術室に患者さんを急いで運ぼうとしているのをとめて、私がいきます!というのが精一杯でした。

 

 

│急変後  ▹  メンタル崩壊

 

それから普通に病みました。

夜勤がおわって呆然としました。何してたんだろってなって、こんなんで仕事続けていいの?もう私に看護をする資格がないんじゃないの?こんなんでよかったの?って。

なんて無力で、なんて出来ない人間なんだって自分をずっとすごく責めました。

ご飯もなかなか食べれなかったし、仕事に来ても不安なことばっかりで普段できてたことも難しく思えてできなくて。生食ロックすらあやしかったです。

毎日がつらくて、しんどくて堪らなかったです。仕事にも行きたくない。でも、行かない訳にもいかない。

どんどん喋るのが嫌になる。チームの人ともコミュニケーションをとるのがこわい。チームの人も私をきっと、使えないやつだって思ってるとどんどん負のループに陥ってくる。

毎日嘔吐きながら仕事にいってました。

師長さんがその時の話を聞いてくれたりしましたが、「早く見つけていれば救えていたかもしれない」といわれたこともあり、完全に私はノックアウト。

完全に闇堕ちしていました。

急変から3ヶ月はずっとそんな状態だったと思います。

 

 

│急変後 ▹ 挽回

 

そんな中、私と一緒に夜勤をしてくれていた先輩が私に声をかけてくれました。

「一緒にリフレクションしよう」って。

先輩とふたりで当時のことを振り返って、自分の精神的な状態だったり、どうしたらいいかわからなかったことだったり、どうすればよかったかを一緒に話しました。

先輩は死ぬほど優しくて、うんうん、ってただ話を聞いてくれました。

次からはこうすれば大丈夫、私もこうしてあげれたらよかった、って同じ目線にたってお互いにリフレクション出来たのがほんとに私には効果的だったんだと思います。 

先輩がまだ入りたての頃の話や、先輩自身も急変の時には不安なこと、いろんなことを話してくださいました。

 

わたしはそれまで自分がしたことを話すことも出来てなかったし、むしろどんどん話せなくなっていたし客観的に考えることもできてなかったことに気付かされて、それから後輩ちゃんとか同期にもいっぱい話しました。何回も何回も話して、こうすればよかった、ああすればよかった、って四六時中考えていました。

 

1ヶ月しないうちに集中治療室から病棟に患者さんがあがってきて、はじめは担当もはずれていたのですが、徐々に患者さんと向き合うことができていきました。

少しでも空いてる時間があったら、患者さんのところに行ってできることをしました。

よく考えたら、そんなの自分の感情のためにその人に償おうとしてるだけで看護でも何でもない自分勝手なことだったな、って思います。

でも、急変の時になんでもっと声掛けてあげなかったんだろう、不安を聞いてあげれなかったんだろうっていう思いもあったので、できるだけ寄り添って話を聞いたり摩ったりマッサージしたりしていました。

 

 

しばらくたってその人はまた呼吸状態が悪くなって体力もどんどん落ちて状態が悪くなっていきました。

その人の状態がさらに悪化した時、先生と家族に電話したのも覚えています。

声が震えて、いよいよ来てしまったのだと思いました。

それでも、諦めずに傍にいたのを覚えてます。

 

ほんとに償いでした。

不甲斐ない私のせいで辛い思いをさせてしまった、怖い思いをさせてしまった。

自分のことばっかりで患者さんまで目が届いてなかった。

二度とそんな思いをしてほしくない、させたくない、自分もしたくない。

今、わたしが看護師を続けていられるのも、勉強をし続けられるのも、ほんとにその患者さんのおかげです。

看護師のやりがい、看護観を形成してくれたのはほんとにその患者さんだったと思います。

感謝しても感謝しきれない。  

 

 

 

これが私の衝撃的なはじめての急変でした。

 

 

 

ちなみに、

すごく綺麗事並べてる感じがしてきちゃったので、補足でひとつ言っておくと、私みたいなやつもいれば、仕事として平等に看護をする方もいらっしゃいます。

みんながみんな私と同じ価値観でないっていうことです。

私みたいに入れ込むタイプは感情的になりやすいので、業務量が一気に増えます。それがいいかわるいかは、看護が一定の人に偏ることもあるので一概にいいとは言えないですし私はあんまりよくないなと思っています((

 

看護観って、患者さんと触れ合っていく中で形成されていくものなので、はじめはよく分からなくて当然だと思いますし、関わっているうちにこだわりがどんどんでてくると思います。

わたしも、こんなえらそうに言っておりますが、すべて出来ているわけではないのでまだまだ精進が必要な小童です。

患者さんたちにとって平等で適切な看護が提供できるのが理想ですね。

 

まとめ方が分からないので、とりあえず、みんな強く生きていきましょう!!!((